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外科医から観たマクロの社会学20.童謡は奥深い

日本外科学会理事長
九州大学教授・大阪大学名誉教授
もり まさき森 正樹

「ウサギおいしかの山小鮒釣りしかの川」。誰もが知っている童謡「故郷」の歌詞である。文学の知識や国語力の欠如によるものだが,これを何気なく聞いていた幼いころ,世の中にはウサギを食べている人がいるのかと不思議に思ったことがある。左様な事はさておき,童謡は懐かしいメロディーと純朴な歌詞ゆえに,多くの人に愛されてきた。しかし,昨今は小学校の音楽の時間に童謡を学習する時間が減っていると聞く。そもそも中心となって活躍する先生が若い世代になっており,彼ら自身が童謡に親しむ機会に十分恵まれてこなかったからであろうか。斯様な訳で童謡は存続の危機にある。他方で,童謡の歌詞は急速な時代背景の変化により,現在の若い人には理解しにくくなっているため,歌い継がれなくなっている可能性もある。そこで平成から令和に変わったこの時期に,はなはだ僭越であるが童謡を永久に残すべく,私が童謡を口ずさんで「おや?」と思ったり,誤解していた点について概説し,少しでも童謡が正しく歌い継がれることに寄与できればと思う。今回は主に四季に関する代表的な童謡を取り上げたい。

まずは春の歌「春よ来い」。「春よ来い早く来いあるきはじめたみいちゃんが赤い鼻緒のじょじょはいておんもへ出たいと待っている」。「じょじょ」,「おんも」は正確には何であろうか? 何となく分かる気もするが,正確かというと不安になる。この歌は大正時代に相馬御風(1883~1950)により作られ,彼の長女がモデルとされる。「じょじょ」は草履,「おんも」はお外のことらしく,幼い長女が使う言葉を歌詞に取り入れてできた童謡のようだ。流石に幼児語をすぐには理解できまいが,小さい子供を中心とした温かな家族の雰囲気は十分に理解できる。作者は幼子の目を通して,雪に閉ざされる越後の長い冬の中にあって,春を待ち望む人々の心密かな期待を伝えたかったのであろうか。もう一つ春の歌として卒業式で歌われる「仰げば尊し」を取り上げたい。「仰げば尊しわが師の恩教えの庭にもはや幾年思えばいととしこの年月今こそわかれめいざさらば」。「蛍の光」と並んで昔の卒業式の定番曲である。歌詞の「いととし」について,「いと」の意味は分からないが,「とし」は「年」と思っていた。しかし,これを漢字で書くと「いと疾し」で,「疾し」は,速い・早いを意味する古語との事。「いと」は「とても」の意味という。なるほど,完全に納得。「わかれめ」の「め」は,意志を表す助動詞「む」の已然形らしく,さらに「こそ」は強調の係助詞らしい。よってこの文は「別れるのはつらいけど,さあ別れよう」という前向きな意思が表現されているということだ。男女の別れの際に使うと明るく分かれられるかもしれない。もっと古語を勉強しておけば良かった,残念!

次は夏を連想させる歌「われは海の子」。「われは海の子白波のさわぐいそべの松原に煙たなびくとまやこそわがなつかしき住家なれ」。多くの方はこの1番はご存知と思う。「とまや」は苫(とま)で屋根を葺いた家とされているが,苫(とま)とは何ぞや? それは菅(すげ)や茅(ちがや)などの植物を編んで,粗く織ったむしろのようなものである。ところでこの歌をネットで調べると4番以降は削除されている事が多い。しかし,この歌をこよなく愛する人たちの間では4番の歌詞が秀逸とささやかれているようだ。「丈余(じょうよ)の櫓櫂(ろかい) 操(あやつ)りて行手(ゆくて)定めぬ浪(なみ)まくら百尋千尋(ももひろちひろ) 海の底遊びなれたる庭広し」う~む,難しい。丈余(じょうよ)とは約3メートルの長さを指す。櫓櫂は和船を漕ぐ道具。ここまでは分かる。さて,百尋千尋の尋とは何ぞや? それは長さの単位らしく,一尋は左右に広げ延ばした両手先の間の長さ(約1.8メートル)らしい。そこで百尋千尋とはとても深いという意味になり,なるほど情景を思い浮かべることができるようになる。この歌は1914年の文部省唱歌で,鹿児島市加治屋町出身の宮原晃一郎(1882~1945)の作詞である。加治屋町と言えば西郷隆盛や大久保利通など明治維新の立役者を多数輩出した町で,少なからず西郷どんの影響を受けたことであろう。鹿児島市の祇園之洲公園には歌碑が建てられている。

さて,次は秋の歌「紅葉(もみじ)」。「秋の夕日に照る山もみじ濃いも薄いも数ある中に……」はよく歌われている1911年の文部省唱歌。二番の歌詞「たにの流に散り浮くもみじ波にゆられてはなれて寄って赤や黄色の色さまざまに水の上にも織る錦」。これはいみじくも以前記した在原業平(825~880)の和歌「ちはやぶる神代も知らず竜田川花紅に色くくるとは」や能因法師(988~1050)の和歌「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」によく似ている。紅葉が川面を埋め尽くし,錦のように見えるという美的で切ない心情は,1000年前の人々も同じだったということであろう。ところで「たにの流れに……」の「たに」であるが,これは「谷」ではなく「渓」らしい。両者の違いは? 調べてみると「渓」は二つの山に囲まれたところにある川のことを指し,「谷」は地表にある細長いくぼ地の川を指す。という事は二番の歌詞の「渓の流れに……」は山間部を流れる川を想像しなければならず,在原業平や能因法師が謳った平地を流れる竜田川のような情景ではない(大勢に影響はないが)。もう一つ秋の歌「里の秋」について。「静かな静かな里の秋お背戸に木の実の落ちる夜はああ母さんとただ二人栗の実煮てますいろりばた」。この歌が物悲しいのは「もみじ」など他の秋の童謡とは異なり,太平洋戦争時に,外地にいる父親の無事を祈ったものだからだろう。1945年にラジオ番組で放送された。ところで「お背戸」とは? 一般的には家の裏口や裏手の引き戸のことらしいが,異なる解釈をしている方もいる。それによると「背戸」は引き戸ではなく「背戸の山」のことで,家の後ろの屋敷林を意味する。以前より農村地帯では「背戸の山と前畑(家の前の畑)」を大切にしており,「前畑」が母親をイメージし,「背戸の山」は父親をイメージしていると解釈している。その様な解釈が裏の屋敷林に木の実の落ちる夜は,出征した父親のことが思い浮かぶということに繋がるというのである。う~む,奥深い!

最後は冬の歌「たき火」。「垣根の垣根の曲がり角たき火だたき火だ落葉たきあたろうかあたろうよ北風ピープーふいている」。私は奄美大島育ちなので,子供の時には雪を見たことがない。それもあって「雪,冬景色,雪山賛歌」などの童謡より「たき火」が好きだ。奄美でも冬は結構寒く,たまにたき火をすることもあった。この歌詞には理解しづらい点はない。ただ二番の歌詞の最後の方にある「しもやけおててがもうかゆい」は,しもやけを見ることがなくなった今の時代には通用しなくなっているのではなかろうか。この歌は1941年にNHK で放送され全国に広まった。作詞者の巽聖歌(1905~1973)は,岩手県出身だが,作詞当時は東京都中野区に住んでいたため,昭和58年に普段散歩していた垣根沿いに,「たき火」の歌発祥の地を示す札が建てられた。たき火の楽しみの一つは焼き芋を作ることであるが,今ではこの様な事をしていると不審者扱いされるに違いない。水をたっぷり入れたバケツを傍に置きながら,用心してたき火をするのもいささか興ざめである。歌が作られてやがて80年になるので,これも時代の変遷と捉えるしかない。それにしても懐かしくも寂しいものだ。

私にとって思い出深い童謡を,主に四季にまつわる観点から取り上げた。他にも「お正月,シャボン玉,四季の歌……」などなど,思いの強い歌がいくつもある。これらの童謡は日本の原風景を移す鏡とも言えるが,時代の流れは想像以上に早く,われわれの世代が原風景と考えるそれは,令和の時代には消滅するかもしれない。そんな危機感を抱くがために,せめて童謡を歌い繋ぐことで,日本人の故郷や四季,家族を大事にする心を子々孫々と繋いでいきたいものだ。

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