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対談

対談 郊外における救急医療の現状と問題点

語る人

遠賀中間医師会おんが病院・
おかがき病院統括副院長
末廣 剛敏

聞く人

佐賀県医療センター
好生館脳卒中センター長
杉森 宏

はじめに ― 自己紹介

杉森
本日は,私の同期の末廣先生のお話を伺うチャンスをいただきました。
二人の関係を簡単に申し上げますと,私,かれこれ35年前に九州大学に入りましたが,そのときの同期でして,末廣・杉森ですから出席番号のすぐ隣で,同じグループでした。特に5年生になってからは,ポリクリと申しまして,外来実習,病棟実習も全部一緒に回った仲であります。
 卒業後,末廣先生は二外科,私は二内科のほうで,同じ「二」がつきますけど,内科と外科に分かれました。その後はしばらく音沙汰がございませんでしたけれども,いつの間にか二人とも救急の世界に入っていたということで,お互いにびっくりしたところです。特に末廣先生は,外科でばりばり手術しているものだと思っていたら,いつの間にか救急医になっていたので,何年か前にちょっと九大のほうに来られましたけれども,大変びっくりしました。
 今,私は救急の最前線から少し離れて脳卒中を中心にしていますので,本日は地域というか,郊外型の救急医療の現状ということを末廣先生に,まだまだ最前線で頑張っていらっしゃると聞いたので,ぜひ伺いたいと思います。
末廣
小さい病院なので,自分で働かないと動かないところがあるので。
杉森
そうですよね。

病院紹介

杉森
では早速ですが,まず,遠賀中間医師会おんが病院というのはどんな病院ですか。
末廣
遠賀中間医師会は,遠賀郡の4町,遠賀町,岡垣町,水巻町,芦屋町と中間市の1市4町からなる地域の医師会で,大体14万人ぐらいの人口がいます。もともと遠賀郡というのはものすごく広くて,北九州の半分ぐらいまでは遠賀郡だったのですが,今はなぜか北九州医療圏の一部の端っこになっている状態です。
杉森
では,結構広い範囲に14万人がばらっといる感じですか。
末廣
産業としては農業と漁業。農業では,高倉びわとか,フルーツが有名なところみたいですね。
杉森
そうですね,食べに行ったことがあります。
末廣
自衛隊の芦屋基地もあります。
杉森
芦屋も入っているのですか。
末廣
そうです。そこに県立遠賀病院がかなり昔からありました。県立病院は福岡県に4つあったのが,県のお荷物になったので移譲先を探したところ,前会長の堤会長が手を挙げられて,とにかく医師会で面倒を見ましょうということで移譲されて,2005年にできたのが遠賀中間医師会病院です。
杉森
たしか二内科からも一人,消化器の矢田君が副院長で行きました。
末廣
今,院長になっています。
杉森
そうなんですか。知らなかった。

成り立ちと診療態勢

末廣
県立遠賀病院が,急性期のおんが病院と療養回復期のおかがき病院の2つに分かれています。ただ,県立病院の流れでずっと赤字が続いていたので,2010年に恩師である杉町先生が統括院長になられて人事を一新されたのですが,なかなか救急の受け入れがない。午前中はいいけど,午後になると,検査とか手術で人がいないから受けられないということになっていました。医師会病院なので,地域の先生のためにならないといけない,救急を何とかしたいということで,杉町先生から呼ばれて2011年に行きました。ただ,救急というだけだったらあまり意味がなく,高齢者医療がメインなので,どの科に紹介していいかわからないような患者さんも全部診ようという意味で,救急総合診療科を作ってもらいました。
杉森
もとは救急と総合診療は随分離れた世界でしたけど,だんだん境目がなくなりつつあるし,患者さんもなるべくシームレスに診たほうがいいのではないかという流れもあるのですが,それを先取りしておられるのですね。色んな事情もあったのでしょうけど。
末廣
時代の流れとしてどんどん専門性が重視されるようになったのですが,結局,高齢者は症状がよくわからないので,それは自分の科じゃないと言って,病院たらい回しだけではなくて,院内たらい回しになりがちです。そのような患者さんを手に引き受けていくようにしたのが最初です。
杉森
たらい回しは目に浮かぶようですけど,大変ですよね。おんが病院の病床規模としてはどれぐらいですか。
末廣
おんが病院は急性期病院で100床。2012年に地域医療支援病院に承認されました。これには200床以上という条件が一つあったのですが,そこはどうしても地域のために必要だということで100床で承認されました。多分,日本で一番小さな地域医療支援病院だと思います。今,100床のうち,ハイケアユニットが8床あり,重症患者さんを診られるような体制にしています。現在の平均在院日数が14日で,病床稼働率が98%です。
杉森
それは病院全体でですか。
末廣
はい。
杉森
それはすごいですね。
末廣
100床しかないから14~15人退院する日もあります。そのため紹介患者をしっかり受けるようにしています。
杉森
入院の予定とか,なかなか立たないものではないですか。
末廣
医師会病院なので,医師会の先生からの紹介率が85%程度ありますが,最初,杉町先生が来られたころは,40%以下でした。県から移譲された病院で,医師会の先生たちが作ろうといって作った病院ではないから,なかなか受け入れられなかったのですが,杉町先生が来られてから地域のためにどんどん受け入れるようにしたので紹介も増えました。

臨床の姿勢

杉森
それは,環境もさることながら,作った経緯もそんなふうでしたら,二重に大変な状況ですね。
 医師の数は,病床に合わせて抱えられる数が決まってくるけど,最初はなかなか増やせなかったのではないですか。
末廣
そうです。杉町先生が来られたときは14~15人ぐらいでしたが,今は20人まで増えました。今,救急が2人,消化器科も3人体制になっているので,どんどん人を増やしてもらって,人が増えれば,その分,患者さんを受け入れる幅が広がります。救急で大事なのは,受けた後に専門の先生がちゃんと診てくれるかということです。僕はもともと外科の救急もやってました。最初にアメリカ留学から帰ったときに済生会八幡に行って,松股先生がいたときは,もうとにかく急患は全部受けろという感じで受けました。その後,2000年に国立中津病院が市に移譲されて中津市民病院になったとき,松股先生と一緒に行ったのですが,とにかく急患は全部受けるからといって,最初の2ヵ月か3ヵ月ぐらいは外科だけで当直しました。
杉森
手術は何でもしていたのですか。
末廣
何でもしていました。済生会にいるときから,とにかく自分で診られるものは自分で診ようということで,救急をやるにしても,自己完結型の救急をやりたいと思っていました。だから,内視鏡も一応できるし,手術もします。あと,専門では移植でしたけど,結局,移植の本道ではなくて,移植に伴う合併症とか,そういうところに興味があって,感染症も専門医を取りました。とにかく自己完結型の救急ができればいいなと思っていました。今,救急というのは,どっちかというと受ける専門で,受けて回すというイメージですね。
杉森
卒業以来そんなルートを通ったというのはきょう初めて知りましたけど,確かに移植外科というのは,ある意味患者を弱らせてしまって,自分たちで病気を作ってしまうところがある。それをまた自分で完結させなければいけない。そういう意味では非常に合っているでしょうね。
末廣
そうですね。おんが病院は100床あるけど,入院患者をつねに20人以上担当しています。
杉森
それは救急科として持つのですか。
末廣
そうです。自分で診れるものは自分で診るようにしています。僕より上の先生は大江先生と杉町先生しかいないから,僕が診れば,下の者もちゃんと診るようになるので,僕が持っている患者さんの中で,自分で診たいと思ったら,診ていいですかと言ってくる。回されると嫌がるけど,自分で診たいと思う患者を診るのは嫌がらない。
杉森
コンサルトをしやすい環境とか,そういうのはいかがですか。
末廣
あります。おんが病院に来たドクターというのは境がなく,何でもやります。医局が一つになっていまして,広い医局に机もばらばらなので,朝会ったときに,整形とか,循環器とか,みんなに「こういう人がいるんだけど,後で診てくれますか?」と言って,患者さんを共有しています。
杉森
そのサイズの病院のいいところですね。
末廣
100床だからですね。病院が大きくなればなるほど,そういうことはできないですね。
杉森
大病院では,まあよろしく,ということは仲々できないですね。大学病院はその逆でした。詰め将棋みたいな感じで,こことここをこう抑えた上で,ここにお願いしますとかきちんと段階を踏まないといけない。
末廣
変にお願いすると,逆に,何でこんなにしていないのと言われますしね。
杉森
自分で診てしまうということは,キャパシティがそこそこないとできないので,すごいことですよね。

救急医療圏と医療連携について

杉森
資料を見せていただいたのですが,救急車を年間で1,000台以上受け入れていますね。
末廣
地域医療支援病院の条件の1つに救急車うけ入れ,1,000台もしくは,二次医療圏の中の5%というものがあり,おんが病院は北九州医療圏だから,5%というと,とてつもない数になります。宗像医師会は宗像医療圏だから,5%といったら300台程度でクリアできます。
杉森
随分差がありますね。たしか宗像とは近いですよね。
末廣
救急車の台数は,遠賀中間地域と宗像地域は一緒ぐらいで,6,000台ぐらいです。
杉森
2人で受けるのに1,000台というと,なかなか大変ですね。これは日勤とか夜勤とか,時間帯はいかがでしょうか。
末廣
夜より昼のほうが多いと思います。医師会の先生からの紹介が多いので,まずは日中で,あとは施設ですね。医師会の先生が嘱託している施設は100%受けることにしています。私が来るまでは,午後は受けられないということがあったらしいけど,とりあえず受けておけば,外科をやっていたので,外科の患者さんも初療はできますし,盲腸であれば,外科医が来たら,あとはよろしくとお願いできるし,手術中でも電話して,入院させておくからという感じです。
杉森
県立病院の流れが残っていると大変そうなイメージがあるのですが,そうでもないですか。
末廣
もう古い人はやめているし,田舎だからか,結構素直な方が多いので仕事はやりやすいですね。よろしくと言ったら,やってくれる。
杉森
施設からの患者さんが結構な数を占めますね。
末廣
そうですね,30%ぐらいは施設から。入院率は結構高くて,7割近くなります。
杉森
普通の救急病院では,入院率が大体半分を超えると,かなりセレクションがかかっていると考えられていて,大体どこでも3割ぐらいですよね。ですから,66%だったら,もう入院しないといけないというのが,最初からチョイスされていることになります。これで見ると,平均年齢が78歳ですか。
末廣
75歳以上が70%を超えています。認知症を持っている人が半分近くいます。あとは心肺停止も来ます。脳外科がないので,交通外傷というのはなかなか来ませんが,高齢者の軽い脳􄼷塞は全部診ます。あまり積極的な治療は希望しませんので,点滴で治療します。
杉森
あまり守備範囲を拡げると大変ではないですか。
末廣
でも,それは施設の嘱託の先生が大体わかっているので絶対無理な症例は来ません。
杉森
結局その辺ですよね。施設との連携というか,顔の見え方というか,それ次第でさじ加減が変わってくると思うのですが,その辺はいかがでしょうか。
末廣
施設の先生,家族との関係,施設と同乗してくる看護師さんとの話しで対応します。
杉森
そういう方と話をするわけですね。
末廣
話をすると,入院させてくださいオーラがこう……。
杉森
それはそうでしょうね。
末廣
ちょっと入院させてもらわないと困ります,と。
杉森
それだと救急もさることながら,時間外と救急が両方混じっているような感じになりますよね。
末廣
そうです。
杉森
でも,うちの病院もそうですけど,夜とか,金曜日の夕方とか,開業医の先生が閉まる時間帯あたりから,だんだん忙しくなってくるパターンというのが非常に多いですよ。
末廣
そうですね,金曜日の夕方は多いですね。
杉森
救急で困るのは,普通に働く時間帯と全然違うところで頑張らないといけないので目に見えないことです。平日にのんびりしていたりすると,何をしているんだという話になる。
末廣
何もなければ5時半に帰ります。朝は,杉町先生が大体7時ぐらいに来られるので,そのころにはいたほうがいいかなと思っています。
杉森
早いですね。

NSTとリハビリ

末廣
施設との連携は特に大事にしています。施設からの救急で大事なのは,入院した患者さんは,食べられないと施設に帰れないから,NST,栄養サポートチームを本格的に始めました。そのNST のチームで,毎年,遠賀中間地域の施設を回っています。
杉森
施設自体を回るのですか。
末廣
チームとして,年に1回ですけどね。
杉森
それでもすごいですよね。
末廣
誤嚥性肺炎の予防をどうやってしたらいいかとか,あと食事。朝退院したのに夜熱を出して戻ってくる人もいる。それは,病院でやっているやり方と施設でやっているやり方が違うからですね。そこで,なるべくスムーズに帰れるように,施設でのやり方をこっちが勉強しておかないといけない。
杉森
なるほど。
末廣
だから,食事の形態とか,NST で必ず詳しいレポートを書いて回診しています。あとポジショニングも大事なので,食べさせ方とか,いろんなことも。周りがみんなしてくれるので,僕は何もしない。NST は本当にチーム医療なので。
杉森
外科の先生は昔,胃ろうを作ることに随分エネルギーを注いでいた気がしますが,今はそういうことにエネルギーを注いでいらっしゃると。
末廣
普通,NST といったら,ドクターから依頼があって初めて動く。うちはNST チームが患者さんを選ぶ。僕の名前で選ぶから他のドクターは何も言えない。
杉森
算定件数が1,500を超えている日が多いですね。これ100ベッドの病院でですよね。
末廣
厚労省が条件を決めているので,それに即してNSTをどんどん活用しています。とにかく栄養を重視しているのと,あとはリハビリ。入院して,とにかくその日から。僕の患者さんは全員,NST が入るし,リハビリも自動的に入るようにしています。
杉森
セラピストが13人もいるのですね。
末廣
とにかく人を増やして,ST もいなかったので,すぐ入れてもらいました。
杉森
これだったら,ちょっとしたリハビリ病院ですね。
末廣
急性期でどんどんリハビリしながら早期退院をすすめています。今は在宅に力を入れています。

在宅医療

杉森
在宅医療のことですね。そこにも手を出しているのですか?
末廣
高齢社会は当たり前で,日本は1970年代から高齢社会に入っていました。いつも高齢化と言って慌てるけど,それはもう普通のことで,高齢化をどうやってうまくやっていくかということで,在宅も一生懸命やっています。2014年に在宅療養支援病院になって,去年4月から救急医が1人来てくれました。
杉森
この方ですね。
末廣
黒坂くんです。それで時間ができたので,午前中は外に出ていることが多いです。
杉森
先生自身が行かれるのですか。
末廣
僕が行きます。大体20人ぐらいの在宅の患者さんを診ています。
杉森
地理的にどれぐらいの範囲に。
末廣
若松とか,宮若とか,半径16kmまで行けるのですが,宮若はちょっと遠かったですね。
杉森
車で30分ぐらいですかね。
末廣
かかりました。
杉森
端から端まで行ったら1時間かかるか,かからないかですね。毎日同じところを回るわけではないでしょうけど。
末廣
救急に来た患者さんを施設に帰すときはNST が大事になってくるのですが,家に帰す場合には,こういう在宅のバックアップがあるということを言って帰すようにしています。
杉森
そんなことまでしているのですか。
末廣
やっています。もともと実家は開業医なので,父親が往診バッグを持って往診していたのを覚えています。
杉森
なるほど。
末廣
今,実家をついだ弟も在宅医療をやっていますけど,やっぱり皆さん,家に帰すと,入院しているときと表情が全然違いますね。
杉森
私もリハビリ病院でやっていたことがありますけど,それは間違いなくそのとおりですね。
末廣
家に帰ってどんどん元気になった人がたくさんいます。脱水で動けなくて訪問していた90歳台の方が,頚部骨折で手術してリハビリを始めたところ,家では全然動いていなかったのに,リハビリすることがだんだん楽しくなったらしくて,今はデイに行けるようになり,もう訪問はしていません。
杉森
そうやって良くなる人もいるのですね。
末廣
97歳でしたね。
杉森
それはすごいですね。
末廣
やっぱり家に帰りたいと言われる方は多いですが,いろんな病気を持っている人が多いから,在宅で診てると急病というのも起こり得ります。そういう人をいかに入院させずに家で診られるかが重要です。
杉森
そういう場合,先生はかかりつけ医になってしまうわけですか。
末廣
在宅の場合はですね。
杉森
連携というのは,まずかかりつけ医をどうやって探すかというのと,そのかかりつけ医がちゃんとやってくれるかどうかが結構大きいわけですけども,先生自身がやってしまうのなら,それはそれで解決してしまうことになりますね。
末廣
在宅が必要ない人は,かかりつけ医の先生が診る。だから,僕は,基本的には再来は診ていません。皆さんかかりつけ医に戻します。
杉森
再来するとしても,在宅医療の患者さんだけ,ということですね。
末廣
再来が忙しくて新患が診られませんというのは,ちょっとおかしいのではないかと常に思っていますので。
杉森
大きい病院では確かにそういうことはよくあります。
末廣
医師会病院なので,患者さんは基本的には医師会の先生に担当してもらって,検査とか入院だけおんが病院でしてもらえばいいと思います。在宅になる時はかかりつけの先生が,診られないなら,おんが病院で診ますよというかんじです。
杉森
地域の開業医の先生たちで,在宅をやっている方も結構いっぱいいらっしゃるのではないかと思うけど,そうでもないですか。そこら辺の連携というのはどうでしょう。
末廣
昔からのかかりつけだけは診に行かれる先生はおられますが,24時間対応はしていないので,夜何かあったらおんが病院に行きなさいと言ってもらっています。
杉森
本当に地域密着でいいですよね。
末廣
やっぱり楽しいですよ。もともと地元が近いから友達も結構いるし。でも,やっぱり杉町先生がいますからね。

問題点・課題

杉森
良かったですね。
 現状はそんな感じでかなりアクティブにやられているのですが,問題点もあるかと思うので,幾つかお聞きしようと思います。
 一番困ることは何でしょうか。特にないですか。
末廣
救急で困ることは,ブラックな人がいることです。
杉森
そういうバックグラウンドの問題ですね。
末廣
でもそこは,今はもうそんなに困っていません。僕は困っていないのですが,僕がいないときに救急車を断る先生がいるので,それが困る。1台断ると3台来なくなると言われていますし。
杉森
救急隊との勉強会とか会合みたいなものは定期的にやっていらっしゃるのですか。
末廣
定期的にやっています。あしたもまた地域のMC会議があります。
杉森
ああ,あそこ北九州とは別の,遠賀中間地区でのMCなんですね。
末廣
遠賀中間地区のMC では,症例検討会と救急症例の検証会が3ヵ月に1回あって,症例の発表会も3ヵ月に1回あります。その後は必ず消防隊と外来看護師と一緒に交歓会をするようにして親睦を図っています。
杉森
なんと言うか,お決まりのパターンですね。
末廣
そして,高齢化が問題と言うけど,結局,今は病気を一つだけ持っている高齢者はほとんどいません。高血圧,糖尿病は当たり前みたいなもので,それに心不全があったり,呼吸不全があったり,幾つかの病気を常に持っている人がほとんどです。そういう人たちが救急車でよく運ばれてくるのですが,一体どれが悪いんだということになります。
杉森
そうですよね。言うのは簡単ですけど,高血圧なんかでも,ある程度の年齢になると,下げたらかえって寿命が縮むかもとかいう話があって,ある年齢,どこかのところで医療の目指すところが変わっていくので,その辺は本当に難しいと思いますね。
末廣
在宅の高齢者,独居の方とか老々の方で,自分は健康だと思って介護保険を持っていない方がいるのですが,そういう方が急病で運ばれて来ると,必ず介護が必要になるわけですね。入院のときから,退院後のために介護保険の申請は必ず勧めるようにしています。
杉森
そうですよね。元気なつもりで,介護保険なんか使わないという人もきっといますよね。
 あと,先生のところで一旦受けた後で,やっぱりこれはいけないということで,次の病院へという状況もあるのですか。患者さんたちは,大体先生のところで完結してしまうのですか。
末廣
一番多いのは血管系です。心筋梗塞とか動脈瘤破裂はおんが病院では診られないので,そういうものは検査だけしてすぐ運びます。JCHO九州病院が多いですね。
杉森
JCHOといったら黒崎ですね。救急車でどれぐらいですか。
末廣
20分ぐらいです。
杉森
あそこも,たしか救急&総合診療みたいな感じで,あれはあれで大変みたいですね。
末廣
北九州には市立病院が,小倉と八幡にあり,市立八幡病院が救急を中心にやっていて,小児救急も積極的にしています。おんが病院は小児科が診られない。昼は診てくれる先生がたくさんいるけど,夜は診てくれる先生がいない。うちも小児科医はいますけど,夜は診ていないので,大体JCHO に行くか,市立八幡に行ってくださいと言うことが多いです。
杉森
小児科はしようがない気がしますね。
末廣
今後,地域のためには小児救急を夜10時ぐらいまではやりたいと思っています。
杉森
大体そこまでで,深夜帯は意外と少ないですものね。どこも夜10時過ぎて来る人は本当に重症で救急車で来るか,何かちょっと違っていて,どうしても来たくて来ている人かのどちらかになってきますね。
末廣
仕事から帰ってきて連れてくるとか,そういう家族が多いので,もうちょっとやりたいですね。今,高齢者ばかりに目が行っていますけど,小児をもう少し大事にしないと地域の発展はないので。
杉森
まあ,確かにお年寄りばかりでは生産性も高まらないかもですよね。今後としては,やっぱりそっちの方向ですね。若い人をもう少し大事にしてほしい。
末廣
高齢者に対しては,さっき言ったように,医療と介護の境をなくしてスムーズに移れるようにする。あとは,小児救急をもっと充実させていきたいというのがあるのですが,実際に自分の子供に熱が出たら,病院に連れて行けばいいかと思いますよね。
杉森
そんなものですよね。

好生館と九大病院について

末廣
好生館も大体似たようなものですか。
杉森
いや,うちは450床と,規模が大分大きいのでかなり違います。
 まず,全部診るというのは最初の入り口だけです。それから,重症度が高いので亡くなる方も多いです。この辺が大きい病院と小さい病院の違いと思います。ですけど,僕はそういうことも経験しないといけないと思う。医者はよく死ぬところも行くべきだし,助かるところも行くべきだと思います。
末廣
九大も最初,救急部がありましたよね。
杉森
救急部自体はあったけど,重症主体であまり外から数をとっていなかったみたいです。
 僕が九大に帰ってきたのは2005年で,翌年,救命救急センターができましたけど,その経緯において総診は全然別のものでしたね。救急はいろんな科から集まってきてひとつやってやりましょうという感じで。今考えても重症度が非常に高かった。そんなに数はないけど,一発一発がパンチがきいていましたね。
末廣
昔,救急部は麻酔科の財津先生がしていたでしょう。
杉森
そうですね,私もお世話になりました。あと結局ICUも財津先生が束ねていました。
末廣
私は2001~2002年に大学にいました。杉町先生の最後の年と前原教授の最初の年にまたがっていました。新病院ができたばっかりでした。
杉森
ただ,大学の場合,最後は移植まで可能性としてあって,とれるオプションが多いだけにそこが大変です。多すぎて何をやっているのかがわからなくなってしまうときもあります。複雑にして重たいのでちゃんとした旗振り役なり指導役が必要なわけで,それが一番大事な気がします。
末廣
自分でできることが限られてきますね。
杉森
そういう意味では,好生館は中間ぐらいでちょうどいいですね。多少は移植の話とかあるかもしれないけどほとんど出てこないし。
末廣
脳卒中センターというのは,やっぱり入院が多いのですか。
杉森
入院は多いです。救急車が年間3,000弱台ぐらい来るのですが,そのうちの3割ぐらいは脳卒中です。外傷とかも含めてですけど,救命の病棟の4割以上は脳で占めています。

高齢化

末廣
やっぱり高齢者が多いのですか。
杉森
もちろん多いです。佐賀は田舎で高齢化は日本のトップを走っていますから。多分,遠賀と似たようなものではないかと思います。
末廣
高齢化率は30%に手が届きますね。高齢者はしょうがないので,これにどうやって対応していくかですよ。昔,認知症は診ませんという病院が多かったですよね。
杉森
だから,高齢者の施設とうまく連携して,大体この人はこんな感じの人だからというのがわかっていると,いろいろと対応もしやすいのだろうと思います。もしかしたら,先生は,運ぶ前の状態から知っている患者さんがいたりしますか。
末廣
リピーターは多いですよ。
杉森
じゃ,この人は前からこんな感じだからこれ位の治療で様子を見ようかみたいな。
末廣
そうです。
杉森
そういうのがあると心強いですよね。
末廣
結局,尿路感染と肺炎を繰り返すから,退院するとき,もうこの繰り返しですよと家族にも話をして,納得して帰っていただく。
杉森
そこら辺の見立てといいますか,予後予測というのが今後は大事になってくるだろうと思います。
末廣
基本的に治らないというか,感染症で菌が常に体にすみついている人が多いから根治ができない。でも,今の高齢者は生命力が強いですから,100歳でも治る人はいます。私は何もしないですよ。ただ点滴,抗生剤を出すだけで,自分の力で治っていく。
杉森
昔より栄養状態がいいですからね。多分30~40年前の方々よりもいいものを食べているのだろうという気がします。
末廣
施設を回っていくのですが,食事がいい。やっぱり食事も一つの目玉になるから。訪問するときはお昼ご飯を食べさせてもらっている。栄養科も一緒に来るから,これぐらい作った方がいいよと。
杉森
でも,それは大事ですね。目が覚めるぐらいおいしい食事だったら高齢者も元気になるでしょう。
末廣
元気になりますよ。病院にいるときはせいぜい1,000kcal ぐらい食べればいいやと思うけど,大体,帰ると1,400とか1,500kcal を普通に食べている人は多いですね。
 病院の食事も以前よりはかなり良くなっています。当直のときは検食で患者さんと同じ食事です。
杉森
近所の出前とかではなくてですか。
末廣
検食しないといけませんから。栄養師にはよくおいしくなさそうなご飯が食べられるねと言いながら完食です。
杉森
ついつい出前でカレーとか頼んでしまうけど,やっぱりそれではだめですね。
末廣
でも,前は当直を12~13回していたので病院食で健康でしたよ。
杉森
それはほとんど住んでる状態です。
末廣
おんが病院に来た当初は家族と別々に住んでいたし,家に帰るのが面どくさかったので連直していたけど,労基が問題にするかなと言われて,今は6回にしています。
杉森
やっぱり労基が出てきますか。好生館も今,大変な目に遭っていますけど。
末廣
誰かが倒れたりすると,労基が入ってくるみたいです。
杉森
そろそろ時間となりました。倒れたら元も子もないですからね。
 では,先生も随分無理をなさっておられるようですから,体に気をつけてください。
 本日は御多忙のところ本当に有難うございました。

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