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対談

対談 済生会福岡総合病院 院長に聞く

語る人

済生会福岡総合病院院長
松浦 弘

聞く人

遠賀中間医師会おんが病院・
おかがき病院総括院長
「臨牀と研究」編集委員
杉町 圭蔵

杉町
松浦先生におかれましては,何かとお忙しい中,『臨牀と研究』の対談においでいただきましてありがとうございました。院長に就任されて1年になりますので,ご苦労話をお伺いできればと思っています。
松浦
こちらこそありがとうございます。本日は,私の恩師である杉町先生と対談をさせていただけるということで,光栄なことと喜んで参りました。このような機会を与えていただきまして,本当にありがとうございます。

「臨牀と研究」はもうすぐ創刊100年になりますよ

杉町
『臨牀と研究』は,毎月,臨床の最前線の情報をお届けしていますけれども,これは1924年,大正13年に創刊されていまして,現在95巻ですから,もうすぐ創刊100年ということになります。我が国で最も歴史のある雑誌で,多くの方に読まれています。
松浦
『臨牀と研究』は,私の九大の学生時代から,ポリクリやベッドサイドで行くどの医局にも置いてあり,また,九大の関連病院でも講読させていただいています。もちろん当院にも置いております。その上,表紙なども全く変わっておらず,我々九大出身者にとっては,昔から非常になじみのある雑誌だと思っております。
杉町
そうですね,私も学生時代から親しんでいる雑誌です。
 iPS細胞でノーベル賞を受賞された京都大学の山中教授のところに,この『臨牀と研究』の仕事でお邪魔したことがあるのですが,そうしたら,山中先生の部屋にも,有名な世界の超一流の雑誌と一緒に『臨牀と研究』が並べてあったので,びっくりしました。
松浦
いわゆる専門誌ではなくて,特集のテーマも時宜に合ったものが多い。また,学生や研修医だけでなく,専門外の研究者にとっても気軽に読めるのではないかと思います。
杉町
そうですね。
 ところで,松浦先生は,昭和54年に九大を卒業されていますが,高校はどこですか。

先生はどのような学生だったのですか

松浦
私,久留米大学附設高校です。今は進学校でかなり有名になっていますけれども,私のときの同級生は4人だけで,非常に少なかった。
杉町
久留米大学附設は有名ですよね。今は超一流になっています。では,先生はもともと久留米ご出身ですか。
松浦
はい,小学校のときからずっとおります。
杉町
先生は,九大医学部の学生時代,どんな学生でしたか。自分では言いにくいでしょうけど。
松浦
今の医学生と違って,2年間の六本松での教養時代と4年間の馬出の九大病院内の専門時代,完全に分かれていました。教養時代は,春から夏までサッカー部の練習で忙しくて,それ以外は,受験勉強の反動もあって,それこそ麻雀,パチンコ,宅飲みなど,あらゆることを経験したのではないかと思っています。逆に,今の医学生を見ますと,1年生から医学教育が始まっていまして,国家試験という大きな目標のために,学生時代を送っているように感じられ,少しかわいそうな気がします。
杉町
先生は,昭和54年に卒業されて,九大の第二外科に入っていらっしゃいますけれども,同期には済生会唐津病院の園田院長とか,九大の先端医療学の橋爪教授とか,慈恵医大の矢永教授とか,非常に多士済々ですね。
松浦
ええ,本当にいい友人に恵まれました。橋爪君と矢永君は学生時代から非常に優秀で,研修医時代から頼りにしていました。また,園田君は,私と同じ済生会グループの病院長として先輩になりますので,それこそ経営・人事・マネジメント,何でも気軽に相談しております。
杉町
園田先生は同じ済生会の先輩院長ですから,相談しやすくていいですね。
松浦
そうですね。彼はまた全国済生会病院長会の会長です。
杉町
園田先生は,いつの間にか偉くなっていますね。岡留先生の後ですね。
松浦
はい,岡留先生の後になられました。
杉町
今度は松浦先生も園田先生の後に。
松浦
いえいえ。
杉町
会長になると東京に行くことが多くて結構忙しいでしょう。
松浦
そうですね,非常に忙しいみたいです。
杉町
院長になってしばらくは,東京にばかり行かないで,自分の病院でしっかり仕事をしたほうがいいですね。
松浦
はい,ありがとうございます。
杉町
ところで,松浦先生が済生会福岡病院の院長になられたのは1年前ですか。
松浦
ちょうど1年になります。
杉町
その前にずっと副院長あるいは外科部長をされていたのですが,済生会福岡病院に就職されたのは何年ですか。
松浦
平成6年です。アメリカに留学して,島根医大に勤務して,こちらに来ました。それから24年間,済生会一筋です。
杉町
では,もう済生会の主ですね。アメリカのどちらにいらしたのですか。
松浦
ハーバード大学の附属病院のほうに外科栄養の勉強に行ってまいりました。
杉町
アメリカでいい思い出はありますか。
松浦
いやぁ,忙しかったですね。

食道癌の遺伝子研究をされていましたねえ

杉町
先生は,九大第二外科の食道グループでもいろいろと仕事をされていましたが,中村輝久教授が島根医科大学での食道の研究をされていましたので,そこに行って食道をされたということですね。
 先生の学位論文はどんなテーマでしたか。
松浦
私は,「核DNA 量分布パターンから見た食道癌の悪性度判定に関する研究」ということで学位をいただきました。
杉町
そのころは遺伝子の研究のはしりで,DNAの研究がはやっていましたね。DNAで悪性度を判定するという新しい知見でしたね。研究室での苦労話とか,何か記憶に残っていることはありますか。
松浦
今から振り返りますと,非常にいい思い出ばかりです。ただそのころは,非常に忙しい中で学位の仕事が進まないので,研究室の仲間と愚痴を言いながら,研究はもちろん,手術などに対する夢をみんなで言い合い,酒を飲みながら議論したのをよく思い出します。
杉町
最近では食道癌も比較的早いのが見つかりますけど,当時は手術できないような進行癌が多かったですね。
松浦
そうですね。それこそ今は3分の1が表在癌,3分の2が進行癌ですけれども,当時,表在癌は非常にまれでした。当時を振り返ると,教室の原簿では20年間で約200例の食道癌が登録されていたのですが,表在癌はわずか4例でした。先生がその4例のDNA 量をはかって論文にまとめられたのをよく覚えています。内視鏡検査の普及というのが早期発見につながって,最近は,ヨード染色に加えて,NBI(Narrow band imaging)と開発されて,非常に小さな早期癌も発見できるようになっています。ただ,依然として進行癌でインオペの症例も少なくないのが残念ですね。

院長になられてお忙しくなったでしょう

杉町
先生は24年前,済生会福岡病院に就職されていますけれども,副院長にはいつなられたのですか。
松浦
平成12年,西暦でちょうど2000年になります。
杉町
では,副院長は長かったですね。
松浦
そうですね。
杉町
岡留院長の下で大分ご苦労されたでしょう。
松浦
いえいえ。
杉町
岡留先生はカリスマ性がある名院長だから。
松浦
岡留先生は,一見豪快に見えますけれども,非常に繊細な部分も持っています。ただ,決断する際には強いリーダーシップを発揮されて,全ての責任は自分にあるからということで,とにかくやってみろとよく言われました。しかしながら,しっかりといろんなデータに基づいて決断されていた。特に人事のことについては,非常に慎重に決定されていたのを覚えています。この20年,岡留先生のもとでいろいろと修行させていただいたと感じております。
杉町
外見とは大分違いますね。
松浦
そうですね。
杉町
豪快さが目につきますけど。
松浦
直接の下にいると,その辺がよく見えてきました。
杉町
院長になられて1年経ちましたが,副院長時代とは違って大分お忙しいでしょう。
松浦
そうですね。物すごくふなれなことばかりで,もう毎日が目まぐるしくて,本当にあっと言う間の1年だったと思います。
杉町
病院は新築されて何年になりますか。もう大分なりますね。
松浦
私が赴任したとき,築40年ぐらいたった昔ながらの暗くて狭い病院でした。トイレなども非常に古くて,入院患者さんにも不便をかけたと思っています。全病棟が14階建ての病院になったのは15年前になります。
杉町
15年も前ですか。
松浦
今はもう新築とは言えないかなと思っています。
杉町
しかし,福岡のど真ん中にいい病院ができましたよね。
松浦
ありがとうございます。当院の一番の特長は,とにかく福岡の真ん中にあって交通の便がいいことだと思っています。特に最近は高齢者の方が多いので,地下鉄とかバスで通院されるのに非常に便利だと思っています。
杉町
中洲にも近いから,夜は酔っぱらいの患者さんも多いのではないですか。
松浦
以前は多かったけれども,最近は減少していますね。一つには,紹介状なしに受診する患者さんから定額負担で5,000円を徴収するので,そういうことが少し関係しているかもしれません。
図1 済生会の創立
図2 済生会の目標
杉町
ベッドは何床ありますか。
松浦
全部で380床。救命救急センターが46床,ICU が4床,HCU が16床,SCU9床,それから一般病床が305床です。
杉町
救急に対応できるいろんな病床がありますね。
松浦
そうですね。
杉町
救急車は年間で何台ぐらい来ますか。
松浦
救急車は月平均で350~400台,年間で4,000~4,500台程度です。当院の特徴として,二次救急,三次救急の患者が多くて,救急車での入院率が6割から7割ぐらいに達しています。
杉町
そうしたら,夜もベッドをあけておかないといけないですね。
松浦
そうですね,なるべく満床にならないように努力しております。今,平均で1日35人ぐらいの入院があって,急患が10人ぐらいです。ですから,病床の利用率を実際的には90%ぐらいに抑えて回転させて,今先生が言われたように,救急患者に対応するため,いつも救命救急センターのベッドを数床確保するようにしております。
杉町
屋上にヘリポートもあるのでしょう。
松浦
はい。
杉町
何人くらいヘリコプターで患者さんは来ますか。
図3 病院屋上のヘリポート
松浦
離島とか海上救急,一番遠くでは別府から来たこともございます。年間40~50台ぐらいです。
杉町
ヘリコプターにドクターが乗っていくということもありますか。
松浦
はい。海上救急の場合は,時々うちの救急部のドクターが乗って,一緒に現場に向かうということはあります。

済生会福岡総合病院にはスタッフが多いようですねえ

杉町
済生会には看護師やドクターが多いし,スタッフがすごく多いですね。もちろんスタッフが多いということはいいことでしょうけど,人件費はかさみますよね。ドクターは何人ぐらいいらっしゃいますか。
松浦
今現在,研修医を含んで152人です。
杉町
すごいですね。人件費が大変でしょう。
松浦
医師だけで月に1.6億円ぐらいです。
杉町
医師が多いということはいいことでしょうけど,経営者の立場からしたら,あまり多いと大変ですね。
松浦
ご指摘のように,近隣の福岡市内の病院と比較しても,大学病院を除いて,100床当たりの医師の数は最も多いようです。しかしながら,救急医療とか高度専門医療が当院の主体ですから,今のところ許容範囲かなと思っています。ちなみに,100床当たりの看護師の数も市内で一番多くなっています。
杉町
院長あるいは経営者として見た場合,採算の合わない科も結構あるのではないですか。
松浦
言われるとおりです。皮膚科とか,そういう科は,なかなか入院医療になじまない。ただ,やっぱり総合病院というのは崩したくない。全ての患者を診るというのがうちの使命かなと思っています。
杉町
そうしますと,収入に対する人件費の割合は何%ぐらいになりますか。
松浦
現在,45~50%ぐらいで推移しています。
杉町
50%以下だったら経営的にも非常にいいと言われていますからいいですね。
 私の病院は,急性期のおんが病院で大体50~55%,慢性期のおかがき病院で60~65%です。慢性期のほうは人件費が非常に高いですね。しかし,人件費が高い割に,いろんな材料費とか薬代なんかが要らないから,利益率が高いようです。
松浦
うらやましいですね。
杉町
急性期の病院は,人も要るし,材料も要るし,薬も要るし,非常に手間暇がかかりますから,収入も多いけど支出も多いですよね。
 外から見ていますと,済生会福岡病院は順風満帆のようにお見受けしますけれども,困っていることとか,病院をこのようにしたいとか,気になっていることは何かありますか。
松浦
やっぱり経営のことが気になります。おかげさまで,今まで黒字基調で来ていましたけれども,最近の診療報酬の改定とか,特に保険審査が非常に厳格化してきたこともあって,昨年は少し赤字になりました。済生会全体としても,全国80病院の3分の2ぐらいが赤字病院ですので,非常に厳しい経営状況だと思っています。ただ,今年度はいろいろと改善しまして,ICU,HCU の増設,認知症などに対する種々の加算,そういうものを取得したことによって,黒字を出すことができそうなので少し安心しております。

病院はどこも経営が苦しいですねえ

杉町
今,日本の多くの病院は赤字です。黒字の病院はほとんどないですね。私は,長崎市民病院の理事をさせていただいていますが,理事長の兼松隆之先生のすばらしいリーダーシップで何十年も赤字が続いていた病院が,今年度は初めて黒字になりそうです。
松浦
どこも厳しいみたいですね。
 ついでにちょっと言わせていただくと,これまで岡留前院長の強いリーダーシップで「救急の済生会」というブランドが確立していましたので,非常に好調な経営状況が続いていた。しかしながら,福岡・糸島二次医療圏については,高度急性期病院が多数あります。いずれの病院も最近,非常に救急医療に力を入れていて,救急車の台数は私どもの病院も伸び悩んでいる状況です。ですから,私としては,救急に依存するだけではなくて,地域のニーズに合った,循環器疾患,癌に対する高度専門医療の提供体制を構築する必要性を常々痛感しております。
杉町
全ての病院には,その病院が設立されたときからの役割があります。例えば,日赤病院は災害救護活動で奉仕するとか,学校共済組合は学校の先生の健康を守るとか,済生会は,明治44年に明治天皇が生活困窮者を救うために設立されていますね。
松浦
そうですね。私も院長として,特に最近,済生会本部でのいろんな会議とか研修をする中で,済生会という組織の使命,あり方を考えるようになりました。済生会はもともと社会福祉法人として認可されて,医療を通じて生活困窮者を支援することが一番の使命です。ですから,無料・低額診療に加えて,「なでしこプラン」として,ホームレス,刑務所の出所者,障害者,外国人などといった生活困窮者を対象に,巡回診療とか医療相談などを行っています。ですから,このような非常に高邁な理想のもとにつくられた組織で働けることを誇りに思うとともに,今後これについて発展できるように尽力していきたいと思っています。
杉町
病院関係で社会福祉法人はほかにどこかありますか。
松浦
済生会は日本の社会福祉法人の中で一番大きな団体です。ほかは大体小さな病院です。100床ぐらいの病院とか,老健なんかも結構ございます。

先生の抱負をお聞かせ下さい

杉町
最後に,松浦先生の抱負を聞かせていただくことはできますか。
松浦
副院長のときは,どちらかというと高度急性期医療の提供をいかに実現させようかということに目が向いていました。院長になってからは,当院の地域社会に役立つために,地域医療連携に力を入れ,救急医療の充実を図ることに加えて,先ほど言った済生会の使命を発展させるのが私の仕事ではないかと思っております。
杉町
福岡済生会は,もう救急としてブランド化されていますし,福岡市民も,何かあったら済生会に救急車でというのが一つの流れになっているように思いますから,ぜひまた救急車というか,救急医療というか,そちらのほうにも力を入れていただいて,ますます病院が発展しますように祈っています。
 本日は,本当にお忙しい中,どうもありがとうございました。お忙しくなられたでしょうが,先生のご健康と済生会福岡総合病院が,地域の中核病院として益々ご発展することを祈っています。

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