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九州労災病院の役割!!
対談
語る人
九州労災病院院長
岩本 幸英
聞く人
遠賀中間医師会おんが病院・
おかがき病院総括院長
「臨牀と研究」編集委員
杉町 圭蔵
杉町
岩本先生におかれましては,九州大学をご退官になって,九州労災病院の院長にご就任になり,早いものでもう2年になりますが,年度初めで何かとお忙しい中,『臨牀と研究』の対談においでいただきまして,本当にありがとうございました。
岩本
私のほうこそ,本日対談の機会をお与えいただき,大変光栄に存じております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
山中伸弥先生も
「臨牀と研究」を読んでいらっしゃいましたよ
杉町
この『臨牀と研究』は,毎月,臨床の最前線の情報をお届けしているのですが,1924年に創刊されておりまして,間もなく創刊100年になります。我が国で最も歴史のある雑誌で,多くの方に読まれています。
岩本
創刊当時,九州に総合医学雑誌はなく,地方文化の発展のために,東京ではなく,福岡で作らなければという気概で本誌の刊行を始められたと伺っています。戦時中の困難な時代を乗り越えて,近々創刊100年を迎えられることは本当に素晴らしいことですね。創刊90周年のときの新聞記事で,現在編集に携わっておられる古山さんが,ここまで来られたのは,医師を中心に多くの人の支援があったからと述べておられたことを思い出します。これからも歴史ある本誌を,九州の人たちが力を合わせて守っていかなければと思っています。
杉町
ありがとうございます。iPS細胞で有名なノーベル賞を受賞なさった京都大学の山中伸弥先生の研究室にお邪魔したときに,この『臨牀と研究』誌が書棚にありまして,エーッ,基礎の先生にも読んでいただいているのかなと思って本当にびっくりしました。
岩本
世界トップレベルの科学者であられる山中先生が読んでおられるとは,こんなに嬉しいことはありませんね。実は,山中先生はもともと整形外科医で,現在も日本整形外科学会の会員です。いつも臨床応用の視点をお忘れにならない素晴らしい方なので,本誌にも目を通しておられるのでしょうね。私が学会長を務めた2009年の福岡市における日本整形外科学会学術総会で特別講演をお願いしたときは,まだノーベル賞受賞前でしたが,臨床家が100%理解できる素晴らしい講演をしてくださり大好評でした。
杉町
岩本先生には,私が大学にいるときから何かにつけて大変お世話になっておりまして,本当にありがとうございました。
岩本
こちらこそ,私が新米教授だった時代から長年大変お世話になってまいりました。本当にありがとうございます。医学部長時代の杉町先生の決断力,次々にお弟子さんを他大学の教授として送り込まれたリーダーシップなど,全てが私たち後輩教授の手本でした。教授ご退官のとき,外科の国際的一流誌であるSurgeryに杉町先生の退官特集号が組まれたことにはびっくり仰天しました。本当にあり得ないことで,先生ご自身の業績が世界的に評価されているあかしだと思いました。
杉町
どうもありがとうございます。先生はまだまだお若いと思っていましたけれども,本当に月日のたつのは早いですね。
岩本
はい。私は当時,西尾先生が教授を務められていた九大整形外科に入局した後,大学関連病院における整形外科の研修,九大癌研,現在の生体防御医学研究所の馬場恒男教授のもとでの大学院,米国のNIH留学,九大整形外科の教官時代を通じ,仕事一途ではありましたが,充実した時間を過ごすことができました。やり切ったという気持ちで,定年を迎えられたことを大変ありがたく思っています。
先生は教授ご在職が長かったですねえ
杉町
岩本先生は,九大の整形外科の教授を何年間お務めになったのでしょうか。随分長かったのでしょう。
岩本
はい。教授在職は平成8年8月から平成28年3月までなので,足かけ20年です。長い間私を支えてくださった九州大学の皆様,整形外科同門会の皆様に心から感謝しています。
杉町
何歳で教授にご就任になったのですか。
岩本
当時46歳でした。臨床の教授としては若かったですよね。
杉町
先生は,教授としての評価が非常に高く,しかも若い方々からの人気もありましたので,この20年間の間に入局された方も大変多かったのでしょうが,何人くらい入局されましたか。
岩本
私が教授を務めた期間は,平均すると年間約20名程度の入局がありました。武田信玄の名言にもあるように,「人は城,人は石垣」ですから,幾ら名門の教室でも,教室を支える人材が多数入局しないと栄え続けることはできません。その点,私の教授在職中にたくさんの入局があったことは大変ありがたいことでした。でも今は,医学部卒業後2年の卒後臨床研修があるので,学生時代に教授の講義を聞いて入局するよりも,卒後臨床の期間にローテートした診療科の指導医を見て入局する若者のほうが多いのではないでしょうか。多数の入局者があったのは,私ではなく,整形外科医の指導医たちのおかげだと思っています。
杉町
先生,それはご謙遜ですね。やはり先生を慕って入局したのだと私は思っております。
岩本
ありがとうございます。
杉町
ところで,先生のお弟子さんが最近,京都大学とか福岡大学とか東京女子医大などの整形外科の教授に次々にご就任されていますね。
岩本
教授になられたお弟子さんの数は杉町先生には及ばないと思います。でも,私自身,教授の一番大切な仕事は種まき水やりで,人材を育成し後輩を偉くすることだと思っていますので,教授在職中に延べ15人もの同門会員が教授になったことは大変嬉しく思っています。この点では,私も少しは整形外科教室と九州大学医学部のお役に立てたのではないでしょうか。
杉町
また,先生は,たしか日本整形外科学会の理事長をされていましたでしょう。
岩本
はい。2011年から2015年までの2期4年間,日本整形外科学会の理事長を務めました。実は2009年の日整会学術総会福岡の会長と同年の九大整形外科教室開講百周年記念事業を成功裏に終え,ほっとしていたところ,全国から私を理事長にという声が上がったのです。皆さんが望まれるなら……ということでお引き受けしました。4年間の理事長時代に力を入れたことは,整形外科新専門医制度の構築,ロコモティブシンドロームの啓発活動を通じて,国民の皆様に運動器の重要性を知らせること,国際交流の推進です。理事長を辞めた後も引き続き日本専門医機構の理事,日本医学会の幹事,公益財団法人運動器の健康・日本協会の理事長等の社会活動を行っています。
杉町
日本整形外科学会の会員は何人ぐらいいらっしゃるのですか。
岩本
本年,2018年4月1日現在で2万4,945名,ほぼ2万5,000名です。学会員数からいえば,内科学会,外科学会に次いで大きな学会に成長いたしました。
杉町
これからも整形外科学会の会員の方はどんどん増えていくのでしょうね。
岩本
そうなることを願っています。
九州労災病院の院長は如何ですか
杉町
九州労災病院の院長になられてからもう2年が過ぎましたけれども,大学とは異なって,随分とご苦労もおありではないでしょうか。
岩本
教授時代は整形外科のことだけ考えていれば良かったのですが,院長になってからは全ての診療科,全ての職種に目配りをしなくてはならなくなりました。他分野のことはなかなか完全にはわからないので,全ての診療科の部長や職種の人たちの意見をしっかり聞いて病院運営に当たるように心がけています。また,医師確保も院長の重要な仕事です。当院では全医師の約3分の2が九大,約3分の1が産業医大の医局から派遣されています。専門医制度の見直しを機に,大学は関連病院の人事を握っていると批判する向きもありますけれども,私自身は,安定的な医師確保のためには,今後も大学の医局との連携が重要だと思っています。
杉町
九大の総長をされていた杉岡洋一先生も前に院長をされていたでしょう。
岩本
はい。私は九大整形外科の第6代教授でしたけれども,第3代の天児民和教授,第4代の西尾篤人教授,そして第5代の杉岡洋一教授も九大総長を務められた後に当院の院長を務められました。
杉町
九州労災病院は,労災病院としては我が国で最初にできた病院とお聞きしていますが,随分歴史があるのでしょう。
岩本
我が国では第二次大戦後の復興期に,産業の活性化に伴う労働災害が多発しました。そこで,当時の労働省は1949年に,産炭と重工業の中心であった福岡県の小倉市,これは現在の北九州市小倉南区ですけれども,被災労働者の専門的治療と早期職場復帰を目的として,全国で初めての労災病院である九州労災病院を開設しました。現在では全国に34の労災病院があります。九州労災病院開設当時の診療科は,内科,外科,整形外科,理学療法科のわずか4つでしたけれども,その後,診療科を次々に新設し,現在では21診療科を有する地域の中核病院になっています。さらに2011年には旧病院があった小倉南区葛原高松からアクセスの良い小倉南区曽根北町の旧北九州空港跡地へ新築移転しました。新築移転に伴い,ヘリポートや最新の医療機器の導入により,病院の機能が格段に強化されました。患者さんは,入院・外来とも,小倉南区,京都郡,行橋市の住民が中心で,全体の約8割を占めています。
写真1 労働者健康安全機構・九州労災病院全景
写真2 九州労災病院院長に就任して間もない頃。病院を背景に。
杉町
我が国でリハビリを本格的に取り組んだのは,九州労災病院が初めてだとお聞きしていますが,いかがでしょうか。
岩本
そのとおりです。九州労災病院開設当時の院長だった内藤三郎先生は,整形外科医でしたけれども,単に労働災害の治療だけではなく,職場復帰までの支援を行うことが大切だと考えられて,リハビリテーション部門の整備・充実を図りました。1963年には,あらゆるリハビリ機能を有する我が国初の総合リハビリテーションセンターが完成,初期治療から職場復帰までの医療が実践され,全国から患者が集まりました。また,病院の隣にはリハビリテーション大学校が設立され,そこから数多くの理学療法,作業療法の指導者が全国に巣立っていきました。そのようなことから,九州労災病院は我が国のリハビリテーションのメッカと呼ばれています。
杉町
最近は各企業とも労務管理が充実してきましたので,労災事故は減ってきているのではないでしょうか。
岩本
先生のおっしゃるとおりです。我が国では1972年の労働安全衛生法の制定以降,企業の労務管理が改善されました。その恩恵を受けて,全国で労働災害が激減したと言っても過言ではありません。
杉町
労災病院には,勤労者への医療と同時に,地域の中核病院としての役割がますます重要になってきていますね。
岩本
はい。現在労災病院には2つの使命があると思っています。1つ目は,当初の設立目的である勤労者医療の担い手としての役割を果たすこと,2つ目は,地域の中核病院としての役割を果たすことです。現在では後者の比率が大きくなっています。地域の病院やかかりつけ医との病病連携,病診連携を図りながら,中核病院としての役割をしっかり果たしたいと思っています。
杉町
勤労者には,いわゆる外傷だけではなく,心の病といいますか,ストレス,あるいは最近話題になったアスベスト,じん肺,振動障害,いろんな問題がありますね。
岩本
外傷を除く業務上疾病の6割以上を腰痛が占めますけれども,うちには整形外科医が23名もいますので,腰痛には十分対処できます。しかし,先生がおっしゃるように,勤労者医療ではストレスによる精神障害,アスベストによる肺癌や中皮腫,粉じんによるじん肺,振動工具による振動障害,潜水夫や潜函工に発生する減圧症など,さまざまな業務上疾病が問題となります。これらへの対応は,病院経営上必ずしも効率的とは言えませんけれども,労災病院本来の使命なので,今後もしっかり責任を果たしていきたいと思っています。実際,これら業務上疾病の診療と研究は,全国の労災病院が中心になって行われています。
杉町
整形外科の先生が23人もいらっしゃる病院なんて,ほかにはないのではないでしょうか。
岩本
ほかにも幾つかありますけど。
杉町
人件費も大変ですね。
岩本
おっしゃるとおりです。
災害医療活動もされていますねえ
杉町
最近,日本では,東日本大震災とか,熊本地震とか,予期しないような災害がよく起こっていますけれども,災害医療活動もされているのですか。
岩本
当院は2016年に福岡県災害拠点病院及びDMAT指定医療機関に指定され,災害医療活動を行っています。非常時に備え日ごろの訓練が大切だと考え,災害訓練も積極的に行っています。当院にはヘリポートもありますし,北九州空港とも近接していますので,大規模災害時には,空路で移送される患者さんの治療で役割を果たすことができるかもしれません。
杉町
先生のご専門は骨軟部腫瘍ですけど,今でも患者さんをごらんになっているのですか。
岩本
昨日も大腿骨の悪性腫瘍の手術を行ったばかりです。実は,私の九州労災病院赴任に際し,骨軟部腫瘍の患者さんが集まるだろうというので,整形外科の中に骨軟部腫瘍外科を立ち上げ,九大の医局から腕のいい専門スタッフを複数派遣してもらいました。現在,九州労災病院の骨軟部腫瘍外科は,北九州医療圏で唯一骨軟部腫瘍を取り扱う施設となっており,患者さんが集中しています。
杉町
先生が大学にいらっしゃったときには,たしか平成24年に,ロコモティブシンドロームについて『臨牀と研究』の対談でいろいろとお伺いしたのですが,このロコモの啓蒙に今でも力を入れていらっしゃるのですか。
岩本
はい。ご存じでない読書もおられるかもしれませんので簡単に説明しますと,ロコモティブシンドローム,略してロコモは,2007年に日本整形外科学会が提唱した疾患概念であり,その定義は,運動器の障害により歩行,立ち座りなどの移動機能が低下した状態です。その原因は,加齢に伴う運動器疾患やバランス能力低下,筋力低下です。ロコモは我が国における要介護・要支援の最大の原因となっているので,ロコモ予防が大切と思い,国民に対する啓発活動を進めています。
杉町
高齢者の生活の質を維持するためには,このロコモというのはますます重要になってまいりますね。
岩本
我が国の国民の平均寿命は,男性が80歳,女性が86歳ですが,日常生活に制限のない期間である健康寿命は,2010年の厚労省データによると,男性が70.42歳,女性73.62歳にすぎませんでした。すなわち男女とも,晩年の約10年間は介護施設などで外出もできない生活を送っているのです。今後,日本人の平均寿命はさらに延び,2050年には女性の平均寿命は90歳を超えることが確実視されていますけれども,寝たきりの期間ばかり延びては,本人にとっても国にとっても不幸です。そこで国は健康寿命の延伸を目標に掲げています。そのためには,メタボ,認知症と並んで,健康寿命を短くする原因となっているロコモの問題を解決しなければならないと思っています。
杉町
九州労災病院は,入院のベッドは何床ありますか。それから,診療科は,先ほどもちょっと話に出ていましたが,最近いろいろと充実してきましたね。
岩本
病床は全部で450床です。診療科総数は21科となっております。
医師不足・看護師不足は如何ですか
杉町
最近は,多くの病院で医師不足とか看護師不足とか,そういう声をお聞きするのですが,九州労災病院ではいかがですか。
岩本
医師確保については,まず研修医についてはフルマッチですし,常勤医も九大,産業医大の医局のご協力により十分な数の医師を派遣していただいています。おかげさまで看護師も充足しております。
杉町
いいですね。やっぱり病院がいいから,医師,看護師,ほかの職員が集まってくるのでしょうね。
岩本
ありがとうございます。
杉町
先生は,院内でコミュニケーションを大切になさっているとお聞きしていますけど,具体的にはどのようなことでしょうか。
岩本
九州労災病院の理念は,「共に創りだす安全で良質な医療」となっております。共に創りだすといえば,医師とコメディカルを含む病院職員が共に創りだすと誤解されがちですけれども,それだけではだめで,患者さんや家族,患者さんを送ってくださる開業医の方々と共に,創りだす医療でなければならないと日ごろから職員に言っています。そのためには,日ごろのコミュニケーションが大切だと思っています。当院では,エレベーターで一緒になった職員同士,患者さんへの声かけもよく行われており,みんながコミュニケーションを心がけているので,大変嬉しく思っています。近年増加している医療事故や医療訴訟も,コミュニケーションさえ大切にしていれば,ある程度防止できるのではないかと思っております。
杉町
先生のお話を聞いていたら,素晴らしい大学教授から素晴らしい病院長先生へ立派に転身されていますね。
岩本
いえいえ,もったいないお言葉で。
先生は長嶋選手のファンですか
杉町
ところで,先生のご趣味について聞かせていただけますでしょうか。たしか先生は学生時代には野球をなさっていたと聞いていますけど。
岩本
子供のころから野球が好きで,大学時代は医学部野球部のキャプテンを務めていました。日本整形外科学会野球大会にも助教時代までレギュラーで出ていたし,医局対抗野球でMVPになったこともあります。若いころは仕事一途で土日も大学で仕事をしていましたので,たまにやる野球の対抗試合はいい息抜きになりましたね。でも,教授になってからは,寄る年波には勝てず走れなくなったので野球部は引退,最近は月1ペースで,10年ぐらい前から始めたゴルフを楽しんでいます。
ところで,野球といえば,私の教授時代,ソフトバンクホークスから九大整形外科にチームドクターになってほしいという依頼があり,喜んで球団と契約を結びました。現在でもヤフオクドームで試合があるときは医局員が交代でベンチ裏に待機し,選手が怪我をしたら即座に診察や治療を行う体制をとっています。待機している医局員も,息子さんから尊敬してもらえるので,喜んで球場に行っているようです。
写真3 九大整形外科講師時代
1990年西日本整形外科野球大会(長崎)にて
9回裏レフトオーバー2塁打→ 逆転→ 優勝
写真4 講師時代。1993年西日本整形外科野球大会
(優勝の賞状を持っているのが私)
杉町
先生は,長嶋茂雄さんとの対談をなさっていまして,そのときの記事を読ませていただいたのですが,長嶋選手のファンだったのですね。
岩本
私の子供のころは西鉄ライオンズの黄金時代だったので,私もライオンズの稲尾和久投手や中西太選手などのファンでした。でも,あのころ,スーパースターだった巨人軍のONは特別な存在でしたよね。私はチームドクターだった関係で,2009年に福岡で整形外科学会を主催したときに,ソフトバンクホークスの王貞治監督と2人でステージに上がり,トークショーをさせていただきました。また,最近ある雑誌の企画で長嶋茂雄さんと対談する機会がありました。長嶋さんが,自分同様,脳卒中後のリハビリで頑張っておられる全国の皆様のお役に立てればといって,野球半分,リハビリ半分の内容でお話しくださったのです。野球ファンの私としては,ONと対談することができ,大変良い思い出になりました。お二人とも,野球の実績はすごいのに,大変謙虚で,お人柄の素晴らしさに感銘を受けました。
夢をお聞かせ下さい
杉町
最後に,九州労災病院のこれからの夢,それから,先生ご自身の抱負をお聞かせいただけますでしょうか。
岩本
九州労災病院は今後とも,地域の急性期医療を担う基幹病院としての役割と勤労者医療の担い手としての役割を両立させていきたいと思っています。基幹病院としての役割については,特に癌診療,救急医療の充実を図りたいと思っています。癌診療については,「労災病院が癌?」と言う方もおられますが,当院の守備範囲である小倉南区,京築地区にはがん拠点病院がないので,当院が癌診療の充実を図ることは地域の皆様にとって大きなメリットがあると思っています。また,骨軟部腫瘍の診療では,北九州医療圏でオンリーワンの施設なので,特色を出せると思っています。できたら,現在既に指定を受けている地域医療支援病院に加え,がん連携拠点病院としてもお認めいただけるよう準備を進めているところです。
私自身の豊富については,これまでの経験を生かして,自分の病院,所属学会,医学会全体に尽くすことはもちろんですけれども,できる限り一医師として医療の現場で診療を続けたいという希望を持っています。
杉町
本日はお忙しいところをおいでいただき,日ごろはなかなか聞けない面白い話をたくさん伺うことができまして,本当にありがとうございました。
岩本
こちらこそ,対談の機会をお与えくださったことに感謝いたしております。ありがとうございました。
杉町
九州労災病院のますますのご発展と,岩本先生のご健勝をお祈りいたします。本日はどうもありがとうございました。
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